どうも。デニム大好き近所です(´・ω・`)
今回は近所のブログ恒例の尾道デニムプロジェクトを立ち上げた方の話とデニム業界では知らない人は居ない会社「カイハラ株式会社」の会長さんのお話と貴重な資料拝見。
持参したデニム(他社製)をその会社で作ってる人が事細かに説明してくれるデニム好きにはたまらない2日間となりました。
この記事の目次
尾道自由大学(尾道デニムプロジェクト)について
主催のディスカバーリンクせとうちはこの尾道自由大学も含め「尾道デニムプロジェクト」「尾道U2」など地元密着で雇用を生みつつ町おこしをしていく会社です。
今は福山市と組んで縫製などを学ぶ学校の立ち上げなどを計画しているそうです。
尾道デニムプロジェクトはこっちどうぞ。
今回はデニムについて「超深く学ぶ」という内容でしたがこの他にも「写真の撮り方」だったり「道草学」だったり幅広い講義を色々なゲストを呼びながら活動しています。
※道草学…ホントに食える道草などの知識を学ぶ
備後と繊維の歴史と現状をひも解く
備後地方ってどんなイメージですか?
「正直イメージと言われても思い浮かばなくて困る」ではないでしょうか。
備後は実はデニム生地が有名です。
井原・福山のデニム生地は世界的にも名が通っています。
ディッキーズの匠ブランドを手掛ける会社があったりと生産から加工まで様々な会社が存在しています。
その昔は備後絣(びんごがすり)と言う生地が有名だったそうです。
伊予絣、久留米絣と並んで日本三大絣だそうです。
※絣とは昔の着物などの生地の一つ。
現在では和服から洋服にチェンジしてしまったのでかなり衰退しています。
このチェンジの間に備後絣からデニムに変わり成功したのが次の項目で出るカイハラ株式会社です。
繊維業界の現状はその場しのぎ
繊維に限った話でもないかもしれませんがモノづくりの現場では中国やフィリピンなど東南アジアの方が研修生として来られてその方々が縫製などをしている場合が多いです。
外国人研修生と言うと「安い労働力」と言うイメージでないでしょうか。
しかしこの外国人研修生は大体月25万かかるそうです。
今の新卒の給料が20万ほどと考えるとむしろ割高。
それでも今増え続けるにはある理由があります。
それは「月25万で3年間は絶対辞めない保証がある」
新卒などを雇っても大体半年から1年でほとんど辞めてしまうそうです。
少し多く支払ってでも労働力を確保するためだそうです。
今の生産を確保するためですがその代償で技術を継承する人が国内でいないので継承者不足という事に。
またコスト削減に人員確保で中国やバングラデシュ、ミャンマーにアフリカ・・・とにかく少しでも安いところに工場を移しつつありますが、それもほぼ限界に近くアフリカの次はどこに?と疑問符がついています。
ジーンズ=児島のイメージ
児島がジーンズで有名になった理由
ここまで見て頂いて「あれ?」と思った方。
そう、ジーンズと言えば岡山県の児島が日本では有名ですよね。
今やジーンズで町おこしをしてジーンズの聖地と言われるまでになりました。
しかしこの児島は岡山の南端。香川の対岸に位置しており備後地域とは離れています。
ではなぜ児島=ジーンズとなったのか・・・?
その一因として児島は色々な会社が一つになって「児島ジーンズ」を推したからと言われています。
それに対し井原・福山は幸か不幸か(業界内では)他社に頼らずとも、1社でも充分やってけたため協力して・・・と言う事になりにくかったという側面が。
30年後には伝統産業になってるかも知れない
「企業30年説」と言う言葉があります。
その会社のビジネスモデルの寿命が30年と言う意味合いですがそれと一緒で今は普通にある産業も2050年には伝統産業と言われてるかもしれません。
現に残念ながらこの福山・井原のデニム産業も傾斜気味。
ボトム=デニムではなくなりつつあり、チノやストレッチボトムなど多種多様なアイテムが出てきました。
同時にファストファッションの台頭で海外の技術力も向上し、一般消費者向けであれば国内で生産する理由がなくなってしまいました。
大事なのは知ってもらう事
こういった産業や名産品はもちろんブログでもそうですが、知ってもらわないと先が無いわけです。
そこでこのイベントの主催者が行っている尾道デニムプロジェクトや井原デニムなどを立ち上げて知名度アップをしていっているというワケです。
デニム生地の生産方法
デニムの歴史や現状を知ったところで次は生産方法をご紹介。
カイハラってご存知ですか?
先ほどからちょくちょく出てきている「カイハラ」ですが、実は業界なら知らない人は居ないレベルの会社です。
分かりやすく言えば車業界のトヨタみたいなもん。
ユニクロのデニムやリーバイスのデニム、GAPのデニムなど世界でも名だたるデニムメーカーの生地を生産している会社です。
実は日本で最初のデニム生地を作ったのもココ。
一貫生産性をもつ世界のカイハラ
カイハラと言う会社は紡績・染色・織布・整理加工を全て自社で手掛けます。
- 紡績→糸づくり
- 染色→作った糸を染める
- 織布→その糸で織りあげる
- 整理加工→仕上げの加工(ねじれ防止や縮み防止など)
これをデニム生地で国内でやってるとこは他にありません。
メリットは徹底したクオリティの管理。
何か問題が起きた時や昔の商品をリピートしたい時にその生地がいつ頃に卸した物なのかを言えばどんな加工をして誰が織ったのかや綿花の産地まで分かってしまうというほど。
その他にも安定した染色具合や品質の安定化さらには新しい生地の開発もできます。
ちなみにストレッチの生地はポリエステルの繊維にこのデニム生地を巻きつけるようにして作られています。
なので綿100%とは根本的に作っている物が違います。
デニムの色落ちがある理由とは
デニムって色落ちして生地が白くなりますよね?
あれってなんでそうなるか知ってますか?
こすれて色が抜けてるからと思ってましたがあれは糸の中心部分が白いから。
ロープ染色と言う液に漬ける時間を調整し、中の白さも調整できる技術が色落ちによる色鮮やかな白さを可能にしました。
やろうと思えば中まで染まるようにして色落ちのほとんどしないデニムも作れるそうです。
何故それが出回ってないかと言うと
- 回数や薬品量が増えて糸を痛ませない技術も必要なのでコスト的に合わない
- それやったらデニムの良さが消える
110年前の貴重なデニム資料
急いで撮ったからピント合ってない…( ゚Д゚)
最後に会長が取り出したのはなんと1905年の小売店舗向けのカタログ。
約110年前のモノですが…とりあえず古いのは分かる。
がどれぐらいのモノなんだろうという事で・・・
1905年の出来事(wikipediaより)
- 日露戦争勃発
- 夏目漱石が処女作「吾輩は猫である」を連載開始
- アインシュタインが相対性理論を発表
これ…展示物レベルのモノじゃないんか…?
ちなみにこれではないですが似たような古いカタログは1冊180万で購入されたそうです。
昔のディティールなどの参考にされてるそうです。
※もう一冊も1920年代のカタログでした。
「ジーンズは永遠だ終わりなし」